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パソコンと格闘中の60台。趣味はマラソン。北海道マラソンは25回出場。うち先日20回目の完走を果たしました。日々の出来事、お店の事、鮟鱇の事などマイペースに更新していきます。

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2010年2月

2010年2月24日 (水)

母を語る


 街の車道はアスフアルトが出て、我が家の庭の木々の蕾、こころなし
 膨らんで見えます。頬に触れる風も春めいている今日の札幌です。    

 俺の母、菊池フミは大正11年5月、道北の日本海に面した小さな村、
 初山別に生まれました。下に妹等二人生まれ、3人姉妹の長女でした。
 旧制は藤田、昭和18年同じ初山別の山の方居た、菊池辰男と結婚し、室蘭で所帯を持ち昭和20年2月26日に長男である俺功が生まれました。
 まもなく終戦それで故郷に帰り、地元にあった羽幌炭鉱に勤めるそして
 母は弟と妹二人を産み4人の母親になる。親父は足を怪我していたので、 給料が高かった坑内の仕事が出来ず、坑外の安い仕事だったので、お金が
無く家計のやりくりにずいぶん苦労して居た。また住宅の周りや山の斜面の野原を開墾して畑を作り、作物を作り俺達子供はお腹一杯食べさせてもらった。母は元気よく明るかったし愛情深かった。何処にも負けない愛情を注いで貰った。俺子供の頃人みしりし内弁慶だった。よく友達を家に呼んで遊んでいた。母は人が来るの歓迎してくれた、貧乏していたが工夫しておやつを出してくれた。そうゆう事もあって沢山の友達が遊びに来てくれた。そういゆ事が俺外に出て人に接することが苦で無くなってきた。母に感謝感謝   母のことはまた書きます。今日はこれにて あんこじい

2010年2月16日 (火)

まだ寒いですね

  

  (大寒、小寒)の童唄に大寒、小寒山から小僧が飛んできた、      なんといって飛んできた、寒いといって飛んできたというのがある。
  これは子供は風の子といわれてきた。その子供が歌ったもので、
  その身に鋭く感受した極寒の感覚がそのまま出ている。この寒くて辛い
  冬の間を日本人は逆に精神と肉体を鍛える機会としてきた、寒稽古、    寒修業、寒ざらい等昔から広く行われて来ている。しかしまた、
  この時期だからこそ楽しいこと、幸福な事も沢山ある。この時期には   鮟鱇、河豚、鰤、平目等魚達が一段と美味くなる、これらを肴に熱燗で  一献いいですね。外はまだ白い銀世界でまだ寒いですが、もうすぐです  春の足音が聞こえくるのは   あんこじい

2010年2月10日 (水)

昔 参加しました

  


  札幌雪祭り、残すところ2日になりました。ありがたい事に外国人を   はじめ、本州の人、北海道の人、地元札幌の人、安古の店に来ていただいてます。感謝してます。 俺、若い頃(昭和40年前後)すすきのにある  割烹川甚と言う店で板前の修業している頃、所属していた調理会の行事で雪祭りに参加していました。当事大通り6丁目で、会全体で、5メートルくらいの氷の寺院を30人ほどで制作していました。個人でも小さな氷像を  2個、作って陳列していました。これはけっこう大変でした。
  仕事終わって会場に行くのは夜の12時頃、時には朝の4、5時くらいまで、今と違って寒かったしまたねむかった。しかし完成したときは感激し
  会期中、友人を連れて行ったときは、これ俺が作ったと、自分一人で
  作ったみたいな顔をして自慢していた。この時期になると懐かしく思い出す。                                


  俺、マラソンを25年ほど走っている。22年ほど前仲間数人で、マラソンクラブを立ちあげた。それがナイアガラマラソンクラブ。7日の日曜日  総会と新年会でした。会員は110人くらい、始めの頃はあまり早い人  いなかったが、いまでは北海道マラソン大会に50人参加、また全国の  いろんな大会に参加、Ⅰ月31日の大阪国際女子マラソンに4名、2月7日の別府大分マラソンにⅠ名参加。俺、冬はただの飲んべ3月頃から酒の量を減らし、体重を落として、走りモードになります。自慢俺北海道マラソン第一回から昨年の二三回まで連続出場してます。これからマラソンの季節 マラソンの事なんかもこれから書きたいと思います。あんこじい

2010年2月 1日 (月)

ほんとうは好きなんだけれど。。。

   


   今の大相撲は 日本の国、政治の世界と同じくどうにもならない     状態になっている。 僕ら子供の頃、昭和30年代は相撲が大人気    の時である。千代の山、鏡里、吉羽山、栃錦、若乃花、名寄岩、安念   山、明武谷、北葉山、等沢山の人気力士がいた。場所中のラジオの前   で聞いて、贔屓の力士に声援を送っていた。その後はテレビに。。
   学校のグランドの端に必ず土俵があった、その辺の広場には土の上に   丸く線を書き、男の子は時間さえあれば相撲を取って遊んでいた。    お祭りなんかの相撲大会なんかすごく盛大だった。俺、勉強苦手だっ   たけれど、相撲は強かったから、大会は楽しみだった、沢山の景品を   貰った。俺体が大きかったら相撲取りになりたかった、しかしちいさ   かったので小学5年から高校生まで柔道をやった。4段、そおゆう    わけで相撲は大好き、しかしここ10年くらい前あたりからの相撲協
   会のいろんな物事に対する対応の仕方を見て居ると、恥ずかしい、    情けない、腹だたしい、特に横綱になってからの朝青竜のいろんな    問題に対して対応、はなしにならん、日本人の良心は何処にいったの   だ。この先、日本はどうのように成って行くのか大変心配だ。      

   先週、stvラジオの日高悟郎ショーでアシスタントをしている     戸津井陽子ちゃんがお客さんで来てくれた。明るく。楽しい人なので   いい時を過ごす事が出来ました。会話しているとき仕事の話しになり   、 土曜日、8時からの番組なのに5時までスタジオに入り、皆で    発声練習してから仕事の準備始めるそうです。  仕事とはそんなも   のですね。。。   あんこじい  

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